世界人権宣言

 

資料名 世界人権宣言        光村図書年p15~p20

 

本資料と関連する指導要領の内容項目 「主として集団や社会との関わり 規則の尊重 大切な権利」

 

 

 

1.資料の解説(光村の教科書では世界人権宣言が谷川俊太郎訳で紹介されているので、ここでも同じものを引用する)

 

  本資料は上記のような指導要領の内容項目に位置づけられている。しかし、教科書の個々の内容を指導要領のどの項目に位置づけるかについて特に制約があるわけではない。教師は生徒の実態などを考えながら決めることができる。世界人権宣言は巾の広い内容を含んでおり、複数の内容項目に位置づけられると思われる。また、「すぐに全部を読む必要」がないこと、「身近な内容である、印についているものを読んでみましょう」と呼びかけられていることから、必要に応じてなんども条文を取り上げると良いのではないだろうか。

 

  道徳科の授業でなぜ世界人権宣言を取り上げるのか、ということはこれまでの道徳の時間ではわかりにくいかもしれないが、道徳の基礎には「自由」があることを考えれば自然なことだと思われる。なんらかの強制があれば自由な判断は出来ない、自由な判断が出来なければ責任も生じない。まずは自由があることで道徳が問題になるのである。そのことは「学習指導要領解説」に書かれている。

 

 (該当箇所 中学校25p、小学校 26p) 資料

 

  そこで、さしあたっては、「主として自分自身に関すること」の「自主、自律、自由と責任」に位置づけて考え、「自由を大切にし、自律的に判断し、責任のある行動をすること」と関連づけたい。ただ、他の項目と結びつけて学習することもできる。例えば世界人権宣言とセットになっている人権規約は、人権規約を批准している国にとっては「守るべき国際ルール」である。

 

  人権宣言の第 1 条には「自由」の大切さが宣言されている。まずはこの自由の大切さについて学びたい。

 

  「自由」の大切さについては 6 年次の社会科でも学ぶことになっている。道徳教育は「道徳科」だけでなく、各教科でも行うことになっており、道徳の基本である「自由に考え、実行し、責任を持つこと」は社会科でも重要な項目である。道徳教育を「道徳科」に囲い込んでしまうことは想定されておらず、各教科もそれぞれの視点から道徳教育を行うことは重要である。「世界人権宣言」は社会科でも重要な教材になり得るし、社会科で取り上げる際は、人権宣言の歴史的背景などにも触れると良いと思う。人権宣言は数千万人の犠牲者を生んだ世界大戦を抜きにしては考えられないからである。また、戦争は戦闘員だけではなく、非戦闘員、とりわけ女性や子どもへの残虐な扱いを生じさせるからである。

 

2.本資料を教材として使用する場合、特に注意すべきだと考えたこと

 

  社会科などの各教科なども含めて総合的な学びとして授業を組み立てたい。できれば年間計画の中に位置付けられると良いと思う。また、世界人権宣言で取り上げられている人権は、特に普遍的なものであることに注意したい。1 条は、「私たちはみな、生まれながらにして自由です。」とより普遍的な人権を宣言している。  

 

3.補足的に使った資料(社会科の教科書は教育出版のものを例として使っている)

 

  自由という価値は「抑圧されない」「排除されない」「何かを始めることができる」ということを具体的には含んでいると考えられる。

 

  小学社会 6(上)では、1930 年代に中国との戦争が始まった頃から急速に自由が失われていったことを学ぶことになっている。具体的にどのように抑圧されたのか、排除されたのか、なにを始められなくなっていたのか、を学び、(下)では憲法によって「自由のめぐみをみなぎらせることが国民を幸福にするもの」(憲法前文 教育出版の教科書による要約)と考えられるようになったことを学ぶ。

 

  社会科の教科書をどのように使うかは授業者の工夫一つだが、例えば人権宣言の 1 条と憲法前文をあわせて読み、「自由」の大切さを認識することが考えられる。4.世界人権宣言について学ぶ計画(単元計画)

 

 1限目 世界人権宣言が生まれた背景について学ぶ

 

     第二次世界大戦について、戦死者、非戦闘員の被害者、無差別爆撃による被害、原爆、ナチによるホロコーストなどに触れることによっておよそ 10 年近くにわたって人々が大きな苦難を経験したことを学ぶ。

 

  1. 限目 (本時)宣言の身近な条文を学び、意味を理解する。条文を使って主張する、対話することを学ぶ。

  2. 限目 宣言を実際に使って出来ることを考える。教科書の「あなたのクラスの人権宣言をつくるために、一つだけ世界人権宣言の条文を使うとしたらあなたは何条を使いたいと思いますか。またそれはなぜですか。」を行う。各自の振り返りとして行っても良いし、グループに分かれてグループで使いたい条文を話し合っても良い。

     

    5.指導過程

 

 

子どもの活動や教師の発問等

留意点

導入

前時の簡単な復習

子どもに発問しながら行う

 

 

 

 

 

 

 

 

1,2,3,6,18,19 (教科書で「読んでみましょう」と言われているも

)を読み、意味を理解する。特に各条文の題に注目する。

例:「みんな仲間だ」など。

どの条文も具体的な例をあげながら説明する(参考資料参照)

 

教科書の「考えよう」の「人には、自由に意見を言う権利がある。だから人の悪口を言ってもいいんだ。という人がいたとします。

その人に、世界人権宣言でいわれていることを使って反論しましょう。」を行う。

 予想される子どもの反論と再反論

  反論:悪口を言うことは 1,2,3 条に反している。

  再反論:自由に意見を言う権利はだれもそのじゃまをすることはできない、と書いてある。悪口にはどうどうと反論して悪口を言わないように言えばよい。悪口自体は言ってもよいはずだ。

 再々反論:悪口というのは意見なのだろうか。

 

 

 

 

 

教師が主張し、子どもが反論する、というのでも良いし、

子ども同士で対話しても良い。

このテーマでディベートを行っても良い。

 

 

このワークは条文の内容を深く考えるために行うので、正解を出すためではないことに留意する。

少し難しいが、「侮辱」という言葉について考えても良い。

時間があれば「掃除をさせられるのは 4 条違反だ」などといったテーマを考えても良い。

まとめ

教師としての感想を述べる。

これからしっかり考えていかなくてはいけないテーマであ

ることを伝える。

 

 

  

 

参考資料 ①

 

学習指導要領解説 「特別の教科 道徳」編

 

主として自分自身に関すること

 

善悪の判断,自律,自由と責任

 

〔第1学年及び第2学年〕

 

よいことと悪いこととの区別をし,よいと思うことを進んで行うこと。

 

〔第3学年及び第4学年〕

 

正しいと判断したことは,自信をもって行うこと。

 

〔第5学年及び第6学年〕

 

自由を大切にし,自律的に判断し,責任のある行動をすること。

 

(中学校)

 

[自主,自律,自由と責任]

 

自律の精神を重んじ,自主的に考え,判断し,誠実に実行してその結果に責任をもつこと。

 

物事の善悪について的確に判断し,自ら正しいと信じるところに従って主体的に行動すること,自由を大切にするとともに,それに伴う自律性や責任を自覚することに関する内容項目である。

 

 

 

小学校

 

(1)内容項目の概要

 

人として行ってよいこと,社会通念として行ってはならないことをしっかりと区別したり,判断したりする力は,児童が幼い時期から徹底して身に付けていくべきものである。それとともに,より積極的で健康的な自己像を描くことができるようにすることが大切である。そのためには,何事にも積極的に取り組む姿勢が必要となるが,その原動力が自らを信じる姿勢であると考えられる。ただし,それは,過信や自分勝手ではなく,よいと思ったり正しいと判断したりすることができる力を伴った自信や自律的な態度でなくてはならない。よいこと,正しいことについて,人に左右されることなく,自ら正しいと信じるところに従って,誠実かつ謙虚に行動することは,人として重要なことである。特に,価値観の多様な社会を主体的に生きる上での基礎を培うために,よいことと悪いこととの区別が的確にできるように指導しておくことは重要である。

 

また,自己を高めていくには何物にもとらわれない自由な考えや行動が大切である。自由には,自分で自律的に判断し,行動したことによる自己責任が伴う。自分の自由な意思によっておおらかに生きながらも,そこには内から自覚された責任感の支えによって,自ら信じることに従って,自律的に判断し,実行するという自律性が伴っていなければならない。

 

 

 

中学校

 

(1)内容項目の概要

 

「自律の精神を重じ」るとは,ほかからの制御や命令を待つことなく,自分の内に自ら規律を作り,それに従って行動しようとする気持ちを大切にすることである。「自主的に考え,判断」するとは,他人の保護や干渉にとらわれずに,善悪に関わる物事などについて幾つかの選択肢の中から自分で最終的に決めることである。自律は,自分の内部に自ら規律を作ることに焦点があり,自主は,外部に対し自分の力で決定することに焦点がある。したがって,自主と自律は一体的に考えられることが多いのである。

 

「誠実に実行」するとは,すがすがしい明るい心で,私利私欲を交えずに真心を込めて具体的な行為として行うことである。誠実は,自己を確立するための主徳であると言われ,Aの視点の内容項目だけでなく,他の視点の多くの内容項目にも関わる価値である。「その結果に責任をもつ」とは,ある行為により生じた自分が負うべき義務を良心的に忠実に果たすことである。責任とは,ある人の行為がある事態に対して原因となっているとされる場合,生じた結果に対して応答し,対処することである。したがって,行為者にその行為をする自由があることを前提としている。自由とは自らに由ることであり,自らの意志や判断で行動することである。自由な意志や判断に基づいた行動には責任が求められる。

 

自ら考え,判断し,実行し,自己の行為の結果に責任をもつことが道徳の基本である。したがって,深く考えずに多数派に付和雷同したり,責任を他人に転嫁したりするのではなく,自らの規範意識を高め,自らを律することができなければならない。どのような小さな行為でも,自分で考え,自分の意志で決定したものであるとの自覚に至れば,人間はその行為に対して責任をもつようになる。そこに,道徳的自覚に支えられた自律的な生き方が生まれ,自らの責任によって生

 

きる自信が育ち,一個の人間としての誇りがもてるようになるのである。

 

参考資料 ②

 

1条関連

 

世界大戦での戦死者http://www.hns.gr.jp/sacred_place/material/reference/03.pdf

 

ホロコーストについての説明ホロコーストについてはたくさんのサイトがあります。

 

「アンネの日記」についてもたくさんのサイトがあり、簡単にアクセスできます。

 

今でもかってのユダヤ人のように、ある集団に属しているというだけで危険な目にあっている人たちがいます。日本と同じアジアに住んでいるロヒンギャという人たちですが、彼らのことを調べてみましょう。

 

1条には「みんな仲間だ」と書かれていますが、世界中には困っている子どもがたくさんいます。どんなことで困っているのか調べてみましょう。次に困っている子どもを助ける方法はあるでしょうか。考えてみましょう。

 

皆さんのまわりにも困っている子どもはいないでしょうか。いるとすればどんなことで困っているのでしょうか。

 

参考『世界がもし100人の村だったら』についてはおおくのサイトがあります。

 

VHSビデオ「ほんのちょっと変えてみよう」UNHCR(難民高等弁務官事務所)制作

 

 

 

VHSビデオ「ほんのちょっと変えてみよう」の内容〉

 

ジュネーブのインターナショナルスクールの子どもたちが、世界の子どもたち、とりわけ困難な境遇にある子どもたちのことを考える、という体裁で制作されている。

 

ケニアにいるエチオピア難民、ウガンダ難民、タイにいるベトアム難民などの子どもたちが故国で親や兄弟を殺され、逃げてきたことなどが本人の口から報告される。勉強したい、学校に行きたい、平和に暮らしたいといった声も報告され、最後にMAKEALITTLEDIFFERENCE”君もやってみたら、という呼びかけで終わる。時間は14

 

 

 

2条関連差別について考えてみましょう。

 

「うまれつき」(「BORNWITHIT」)というユーチューブがあります。子どもたちと一緒に考えてみると良いのではないでしょうか。

 

次のような高校生の投書を読んで考えてみましょう。

 

私の肌は茶色傷つく言葉はやめて(124日朝日)ディアローモハメッド心さん(17)

 

私はアフリカの国ギニア出身の父と、日本人の母の間に生まれた。肌は茶色だ。

そのため、私は17年間の人生の中で、様々なことを言われたり、されたりしてきた。中学生の頃、バスケットボール部に所属していた私は、遠征が多かった。試合が終わって帰る際の他チームの選手とすれ違った時、「ボブの兄弟」と言われ、クスクスと笑われた。私はボブの兄弟なんかではない。ボブという名前がそれほど黒人っぽいのだろうか。私は、何となくジェームズの方がそれっぽい気がする。

 

別の日、私が本を買いに行ったときのことだ。会計を済ませたあと、店を出ようとしたら、万引きを知らせる警報がなぜか鳴った。その時、店内にいた男子高校生4人が私をみて「さすが黒人だわ」と言って、ゲラゲラと笑った。なぜ彼らはそのようなことを口にしたんだろう。黒人は犯罪のイメージが強いとでもいうのだろうか。

たとえもし、そのような言葉は浮かんだとしても口には出さないでほしい。傷つくから。

 

 

 

3条関連学校で安心して過ごせないとしたらどういう場合が考えられるでしょうか。

 

だけどこのままじゃ「生きジゴク」になっちゃうよ。といって自殺した中学生がいます。

 

(中野富士見中学校いじめ事件葬式ごっこいじめ事件)どのような状況だったのか調べてみましょう。

 

日本は、だれもが安心してくらせる社会でしょうか。

 

 

 

6条関連人として生きるとはどういうことでしょうか。人として生きられないというのはどういう場合でしょうか。日本ではだれもがとして生きていかれる社会でしょうか。

 

1条のところで学んだように、1930年代ドイツではユダヤ人がとして、生きていかれない時代がありました。今はそんなことはないでしょうか。

 

次のようなワークをやってみましょう。宇宙人は教師がやっても良いし、だれか生徒がやっても良いです。最後に残したカードも破らなくてはいけなくなったら、「人として生きて行かれなくなったこと」だと考えてもよいのではないでしょうか。

 

宇宙人がやってきて、みなさんは、自分はこういう人間だということを説明することになりました。皆さんは必ず三枚(あるいは5)の自己紹介カードを作ってください。

 

みなさんは宇宙人に対して三枚の自己紹介カードを使って自己紹介してください。

 

ところが宇宙人はとても悪い宇宙人で、自己紹介を聞いたあと、進んだ科学で皆さんを一箇所に閉じ込め、そこから出してくれません。また、自己紹介カードに書かれた三つのうち一つだけを残してあとは捨てろ、といいます。

 

しょうがないので、全員が一番大事なもの一つだけを残してあとは捨ててください。何を残すか、考えてください。

 

何を残したのか、それはなぜなかのか、紹介しあってください。

 

 

 

 

 

18条関連自分の考えていることを話したら笑われたり、バカにされたりしたことはありませんか。

 

具体例については生徒の状況を考えて紹介してください。

 

 

 

村上春樹の小説「1Q84」には男女二人の主人公がいますが、女性の主人公は小学生の時、両親がある宗教団体に入っていたため、一緒に布教に回っていました。その宗教の教義上の理由からクリスマスの行事にも、運動会にも参加しなかったし、校歌も国歌も歌いませんでした。お昼の給食を食べる前には大きな声でお祈りを唱えました。そのため、まわりからは大変変わっていると思われ、無視されていました。存在しないものとして扱われていたのですが、ある時、ちょっとした失敗のために布教活動について、きつい言葉でからかわれました。あなたはそのことについてどう思いますか。

 

食事の際にお祈りをするのはおかしいことでしょうか。

 

 

 

19条関連授業で自分の意見が自由に言えますか。バカにされたり相手にされないことはないですか。

 

参考資料 ③

 

世界人権宣言(仮訳文)外務省HPより前文

 

人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、

 

人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権保護することが肝要であるので、諸国間の友好関係の発展を促進することが、肝要であるので、

 

国際連合の諸国民は、国際連合憲章において、基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認し、かつ、一層大きな自由のうちで社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意したので、

 

加盟国は、国際連合と協力して、人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守の促進を達成することを誓約したので、

 

これらの権利及び自由に対する共通の理解は、この誓約を完全にするためにもっとも重要であるので、よって、ここに、国際連合総会は、

 

社会の各個人及び各機関が、この世界人権宣言を常に念頭に置きながら、加盟国自身の人民の間にも、また、加盟国の管轄下にある地域の人民の間にも、これらの権利と自由との尊重を指導及び教育によって促進すること並びにそれらの普遍的かつ効果的な承認と遵守とを国内的及び国際的な漸進的措置によって確保することに努力するように、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を公布する。

 

第一条

 

すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

 

第二条

 

  1. すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。

  2. さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。

    第三条

    すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。

    第四条

    何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。

    第五条

    何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。

     

    第六条

    すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。

    第七条

    すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。

    第八条

    すべて人は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する。

    第九条

    何人も、ほしいままに逮捕、拘禁、又は追放されることはない。

    第十条

    すべて人は、自己の権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当っては、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けることについて完全に平等の権利を有する。

    第十一条

 

  1. 犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。

  2. 何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪を構成しなかった作為又は不作為のために有罪とされることはない。また、犯罪が行われた時に適用される刑罰より重い刑罰を課せられない。

    第十二条

    何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。

    第十三条

 

  1. すべて人は、各国の境界内において自由に移転及び居住する権利を有する。

  2. すべて人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する。